深い部分がわかるとは
今日はなぜ人のことが深い部分までわかるようになったのか、
について少し書いてみたいと思います。
その前に、こんな話があります。
例えば、大腸菌の研究者が、研究を重ねていくうちに、大腸菌の気持ちがわかるようになった。
血液の臨床検査技師が、データを取る前に血液を見ただけで
その人がどうなっていくのかわかるようになった。
etc...
もちろん他にもたくさんあると思いますが、
要は1つのことを無心に続けていると、ある時ふと何かが
「見えてくる」ことがあるということですね。
これはどんな仕事をしていてもそのようなチャンスがあると
思います。
鍼灸の世界にも名治療家の中には経絡(体の中を線路のように
走っている臓器の働きのライン)が本当に見えるという方も
います。
ただ、これも不思議なもので「見よう」と思うと
間違いなく見えません。
ジーッと顔を近づけて肉眼で(あるいは見るぞーという意識で)
見ようとすると見えず、むしろズームを引くようにします。
そして意識も見ようとか解ろうとかせずに、ボーッと意識の
境界を曖昧にして全体を見ていると、ふとわかったりする
のです。
ただ、私の場合は経絡が見えたりする訳ではなく、
話を聞きながらその方の人生のテーマと現状の原因、どうすれば
いいのか、時にはその方の先の姿(本来の姿)までわかることがあります。
病気や症状は偶然なったものではないし、もちろん何かの罰でも決してないし、そもそも「仕方がない」ものではないんですね。
「年のせい」も実は違います。
どの方の人生もみんな、唯一無二の味わい深いストーリーが
あります。
それはもう何がいいとか悪いとかの世界ではないです。
皆さんのお話を深く聞いていると、どの方の人生にも心から
敬意を感じます。
私はどうして人の深い部分がわかるようになったんだろう?
と改めて考えてみると、もしかしたらこの仕事を始めて
すべての人に対して敬意を感じるようになって
それ以来何かが変わってきたのかもしれません。
日本人は昔から万物に神を見る、と言われますよね。
人間だけでなく他の生き物にも、自然にも..
そして職人の方達は自分が造っている物と自分が
完全に一体となっている瞬間がありますよね。
今日の冒頭に書いた話もそうですが、
1つのことが深くわかるには、対象を「物」として
見るのでなく、「命」として敬意を持って見ることも
1つあるのかな..と思います。
私が人のことがわかるようになった理由のもう1つに、
自分自身の(プライベートの方の)経験もあるのですが・・
今日は一度この辺りで終わりにしますね。
読んでいただきありがとうございました✴